ケネス・スコット・ロジャース(Kenneth Scott Rogers, 1964年11月10日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州サバンナ出身の元プロ野球選手。(投手)。ニックネームは「The Gambler」。
経歴
テキサス・レンジャーズ
1982年のドラフトでテキサス・レンジャーズから39巡目(全体816位)に指名され入団。高校時代は家の農場の手伝いなどで、まともに野球に打ち込んだのは3年時の1年だけで、外野手だったが投手へ転向した。怪我などもあり、メジャーデビューはプロ入り8年目の1989年4月6日。この年、リーグ3位の73試合に登板し、防御率は2.93。新人選手としてはMLB最多の登板数となった。4月9日にメジャー初勝利を記録し、7月20日にメジャー初セーブを記録した。
1990年はジェフ・ラッセルの故障により、6月以降クローザーとして起用され、チーム最多の69試合に登板し、15セーブを記録した。リリーフとして9勝(リーグ3位)を記録し、左投手としての球団記録となった。
1992年はリーグ最多の81試合に登板したが、1993年に先発投手に転向し、チーム最多の16勝を記録し、防御率4.10。1994年7月28日のカリフォルニア・エンゼルス戦でMLB史上14人目の完全試合を達成。
1995年は自己最多の17勝を記録し、ロジャース自身が持つ左投手としての球団記録を更新した。5月には4試合連続無失点に抑え、39回連続無失点を達成した。これはチャーリー・ハフの36回連続無失点(1983年)を上回る球団新記録となった。オールスターゲームに初めて選出され、1回を2三振、無失点に抑えている。
ヤンキース、アスレチックス、メッツ
1996年にFAでニューヨーク・ヤンキースと4年総額2000万ドルで移籍した。シーズンは12勝8敗を記録し、防御率は4.68。ロジャースは初のポストシーズンとなった。4試合に登板し、防御率14.14で全くの期待外れとなったが、チームは18年ぶりにワールドシリーズを制覇した。
1997年は開幕から不調で5月27日から6月15日にかけての5試合の防御率は8.87。6月22日には4年ぶりにリリーフとして登板した。8月5日に先発に復帰したが、この年の成績は6勝7敗、防御率5.65と1993年に先発転向後最悪の成績となった。一度ケガを隠して先発登板したためジョー・トーリ監督の信頼を完全に失い、ポストシーズンでは登板機会がなかった。11月7日に1998年と1999年の年俸の半分をヤンキースが負担し、スコット・ブロシアスとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した。
1998年はチーム最多の16勝、防御率は3.17(リーグ3位)を記録し、8月20日には通算100勝を達成した。守備ではMLB最多の66補殺を記録し、ア・リーグでは1977年にジェリー・ガーヴィンが66補殺して以来の多さである。
2000年 - 2005年
1999年7月23日にニューヨーク・メッツにトレードされ、2000年にレンジャーズに復帰。この年は13勝をあげ、ゴールドグラブ賞を4年連続で受賞中だったマイク・ムッシーナに代わり初受賞。翌2001年は故障により7月17日の登板を最後にシーズンを終え、5勝7敗、防御率6.18の成績に終わった。
2002年はチーム最多の13勝を挙げ、通算10回目の2桁勝利となった。2003年はミネソタ・ツインズへ移籍。2004年1月14日に2年総額600万ドルでレンジャースに復帰した。9回当たり6.85点(リーグ4位)の打線の援護もあり、自己最多の18勝を挙げ、投手としてリーグ史上最高齢で3回目のゴールドグラブ賞を受賞した。
2005年は4月27日から6月17日にかけて9連勝し、その間に球団史上3番目の長さとなる31回連続無失点を達成している。オールスターまでに10勝4敗、防御率2.54の成績を残し、3回目のオールスターゲームに選出されたが、6月に地元テレビ局のカメラマンに暴行し、怪我を負わせたため、ブーイングを浴びた。それ以後の後半戦は4勝4敗、防御率4.72だった。
デトロイト・タイガース
2006年から2年総額1600万ドルの契約でタイガースに移籍。移籍してからは若い投手のまとめ役、相談役としてリーダーシップを発揮。苦手だったメディアとも積極的につきあうようになった。6月18日に通算200勝を達成。40歳代で2度目の14勝以上を達成(MLB史上10人目)。チームは19年ぶりのリーグ優勝。
2005年までのポストシーズンの成績は0勝3敗、防御率8.85と苦手にしていたが、10月6日のヤンキースとのディビジョンシリーズ3戦を7.2イニングを無失点。 ランディ・ジョンソンとの史上初の40歳代対決に完勝し、続くオークランド・アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第3戦でも7.1イニングを無失点に抑え勝ち投手となった。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズ第2戦では8回を無失点で勝ち投手となった。チームは第5戦で敗退。ワールドチャンピオンになれなかったが、ポストシーズンで23イニング連続無失点を記録し、これを上回ったのはクリスティ・マシューソン(1905年、27回連続無失点)しかいない。
2007年シーズン終了後FAを宣言したが、代理人のスコット・ボラスを解雇し、自ら交渉し、1年800万ドルで残留。2008年5月9日に92回目の牽制で走者をアウトにし、マーク・ラングストンを抜きMLB史上最多記録となった。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰
- ゴールドグラブ賞(投手部門):5回(2000年、2002年、2004年 - 2006年)
記録
- 完全試合:1回(1994年7月28日、対カリフォルニア・エンゼルス戦)
- MLBオールスターゲーム選出:4回(1995年、2004年 - 2006年)
背番号
- 37(1989年 - 1995年、1998年 - 1999年途中、2000年 - 2008年)
- 17(1996年 - 1997年)
- 73(1999年途中 - 同年終了)
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)




