黄海線(ファンへせん、こうかいせん)は、日本統治時代の朝鮮の黄海道において朝鮮鉄道によって建設された狭軌鉄道の総称である。 1944年4月1日に朝鮮総督府によって買収され、同時に土海線、甕津線、長淵線、沙海線、下聖線、内土線、鼎島線などに路線名が分離と変更された 。
現在の路線は全部標準軌に改軌され、黄海青年線、殷栗線の一部区間、長淵線、甕津線、白川線となっている。改軌の過程で一部分が廃止または移設された。
概要
黄海線は朝鮮鉄道局(鮮局、鉄道省管轄)京義本線の京城から平壌のほぼ中間地点に位置する土城(現在の開豊)で分岐して北緯38度線付近に沿って西海岸の海州(現在の海州青年)に至り、ここから北上して京義線沙里院(現在の沙里院青年)を結ぶのが155㎞ほどの本線(他は枝分かれした支線)で、762㎜軌間でありながら当時の内地の国鉄地方幹線並みの設備や規模があり、最高70㎞/hの快速・急行列車や、石炭や鉱石を搭載した重量貨物列車が運行されていた。
また、朝鮮鉄道の762㎜軌間の路線では、810形(1Dテンダー機)が1929年に咸北線に導入されるまではタンク機ばかりを使用していたため、短い区間で給炭水設備を配置しており、このためテンダー機関車が導入されてからも長距離走行を考慮したテンダーをつける必要がなく、固定2軸の小ぶりなものを使用していた。
沿革
- 1919年5月20日 - 上海(三江駅) - 石灘 - 内土間が三菱製鉄所属軽便鉄道として開通。
- 1920年4月21日 - 上海 - 内土間を西鮮殖産鉄道株式会社が引受。
- 1920年12月21日 - 砂里院 - 上海 - 載寧間が西鮮殖産鉄道株式会社線として開通。
- 1921年11月16日 - 載寧 - 信川間が西鮮殖産鉄道株式会社線として開通。
- 1924年9月1日 - 石灘 - 未力間が朝鮮鉄道所属黄海線として開通。
- 1925年9月1日 - 未力 - 新院 - 下聖間開通。
- 1929年11月1日 - 信川 - 水橋間開通。
- 1929年12月21日 - 新院 - 鶴峴間開通。
- 1930年12月11日 - 鶴峴 - 東海州間開通。
- 1931年12月21日 - 東海州 - 延安、東海州 - 龍塘浦(海州港駅)間開通。
- 1932年9月1日 - 延安 - 土城間開通。
- 1933年7月1日 - 東海州 - 海州間開通。
- 1934年5月11日 - 西邊駅(東浦駅)開業。
- 1936年12月11日 - 海州 - 翠野間開通。
- 1937年1月21日 - 水橋 - 長淵間開通。
- 1937年5月10日 - 東浦 - 鼎島間開通。
- 1937年5月19日 - 翠野 - 甕津間開通。
- 1944年4月1日 - 各路線は全部国有化され、長淵線、砂海線、内土線、下聖線、土海線、甕津線、鼎島線に分離された。
- 1944年10月1日 - 黄海本線の開通によって既存の下聖駅は'旧下聖駅'に駅名変更。
駅一覧
以下の駅一覧は1944年4月1日を基準とする。
長淵線(沙里院駅 - 長淵駅)
- 載寧-水橋間は現在殷栗線の一部区間である。
沙海線(三江駅 - 海洲港駅)
内土線(花山駅 - 内土駅)
下聖線(新院駅 - 旧下聖駅)
土海線(土城駅 - 海州駅)
- 韓国戦争以前までは大韓民国の列車は土城駅から青丹駅まで運行されていた。
- 泉決駅~迎陽駅間で北緯38度線を跨いでいた。迎陽駅~海州駅間の各駅は北緯38度線以北に位置していた。
甕津線(海州駅 - 甕津駅)
鼎島線(東浦駅 - 鼎島駅)
関連文学作品
小説家 李箱は短編〈지팡이 역사〉で黄海線の機関車を次のように描写した。
注釈
参考文献
- 鉄道省 編, 《鉄道停車場一覧 昭和12年10月1日現在》, 川口印刷所出版部, p508~509、1937年。
- 宮田寛之「762mm軌間では世界最大級のミカド形とプレーリー形テンダー機関車(その1)」『鉄道模型趣味2021年1月号(No.948・雑誌コード06455-01)』、株式会社機芸出版社、2021年1月、60-67頁。




