柴田 勝興(しばた かつおき)は、江戸時代前期の江戸幕府旗本。歌人でもあった。
生涯
父は幕臣柴田家初代の柴田勝重。『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)によれば、母は勝重の後妻である織田左衛門佐長政の娘。
元和6年(1620年)、徳川家光に9歳で拝謁。寛永9年(1632年)、父の死去により家督を継承し、のちに書院番となる。寛文3年(1663年)、薩埵峠の道路改修の奉行を務めたことで賞される。
寛文5年(1665年)より先手鉄砲頭を務め、布衣を許される。
延宝8年(1680年)に致仕し、養老料として300俵を給される。天和2年(1682年)に71歳で死去。
歌人であり、『柴田勝興富士百首』を著している。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第三百七十二
- 『寛政重修諸家譜 第二輯』(国民図書、1922年) 国立国会図書館デジタルコレクション




