牧野 節成(まきの ときしげ)は、江戸時代後期の大名。丹後国田辺藩の第8代藩主。丹後田辺藩牧野家9代。
略歴
文化7年(1810年)3月27日、牧野允成(第6代藩主・牧野宣成の次男)の長男として誕生した。文政7年(1824年)8月に伯父で第7代藩主である牧野以成の養子となり、文政8年(1825年)11月16日に以成が隠居したため家督を継いだ。
文政11年(1828年)2月と天保3年(1832年)2月に大坂加番代を務め、のちには奏者番にも任じられた。藩政では文学の奨励に努めている。
嘉永5年(1852年)6月5日、病を理由に家督を長男の誠成に家督を譲って隠居した。文久元年(1861年)8月29日に江戸で死去した。享年52。
系譜
- 父:牧野允成
- 母:田中氏
- 養父:牧野以成(1788年 - 1833年)
- 正室:サダ - 貞、観光院、青山忠裕養女、青山幸孝の娘
- 長男:牧野誠成(1832年 - 1869年)
- 生母不明の子女
- 女子:寿松院 - 松平乗喬正室
- 女子:春林院 - 青山忠敏正室
- 三女:辰子(ときこ) - 立花種恭正室
- 五女:森川俊方正室



